日本プロ野球、伝説に残る選手列伝~長嶋茂雄から大谷翔平まで

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杉内俊哉~球界史上最大の大減俸にもサイン

      2019/05/07

杉内 俊哉(すぎうち としや 1980年10月30日~)

鹿児島実業高校出身。高校3年の夏の甲子園鹿児島県予選決勝では杉内と共に注目を集めていた川内高校の木佐貫洋(現日本ハム)と投げ合いの末勝利し、甲子園への切符を見事掴みます。県大会では投球イニングを大きく上回る64奪三振を奪い、「南国のドクターK」と称されました。

甲子園では初戦、青森県代表の八戸工大一校と対戦。ノーヒットノーランを達成。2回戦では神奈川県代表の松坂大輔擁する横浜高校と対戦。7回まで1失点と好投するも、8回に松坂大輔にホームランを浴びる等して6失点し炎上。杉内俊哉の短い夏は終わりました。

高校卒業後、三菱重工長崎に進み、社会人野球で腕を磨きます。

2001年の日本選手権でチームの初優勝に大きく貢献。福岡ソフトバンクホークスから3位指名を受けソフトバンクに入団。契約金で身内にマンションを購入してあげている(姉・母・祖父母)。

杉内は非常に気性が激しくノックアウトされた試合で大事な両こぶしでベンチ等を殴り両手を骨折。1年間棒にふり、球団から罰金100万円と謹慎処分を受けますが、事態を重く見た球団側は罰金を6倍の600万円に変更。謹慎10日の処分に変更されます。当時の監督王も杉内の行為に対し苦言を促しました。

翌年、杉内俊哉は大きく躍進します。シーズン中は投球が冴えに冴えシーズン18勝をマークし、敗戦は僅か4敗。防御率は2・11。投手部門の主要部門を総舐めにします。シーズンが終わると沢村賞も受賞。前年の悔しさを見事に晴らす。オフの契約更改では年俸が大幅にアップ。パリーグの左投手で沢村賞受賞は杉内が初めての選出でした。

杉内はその後も、同僚の和田とソフトバンク投手陣を引っ張りパリーグの打者からは非常に嫌われる投手となります。その後FAで巨人に移籍。

左腕

巨人移籍元年、交流戦で楽天戦で登板。相手投手は田中将大でした。杉内は完璧なピッチングで7回まで1人の走者を出さないパーフェクトピッチング。しかし田中も熱投で巨人打線に点を与えませんでしたが、7回裏高橋由伸にツーランホームランを浴び失点。杉内は後一人の所でフォアボールを出しますが、最終的にはノーヒットノーランを達成。この年は12勝、以後も移籍後3年連続二桁勝利を継続。

ところが魔の2015年。17試合に登板するのみで6勝6敗。前述の新井同様、野球協定が定める減俸額を上回る大幅なダウンを提示されます。4億5000万円減、5000万円(プラス出来高)という球界史上最大の大減俸となったが、杉内はサインしました。10月に右股関節の手術したため、復帰は来年の夏頃になると言われている。

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