日本プロ野球、伝説に残る選手列伝~長嶋茂雄から大谷翔平まで

プロ野球界に語り継がれる伝説の選手を紹介しています。ミスタープロ野球・長嶋茂雄から、最新の大谷翔平まで。プロ野球選手、皆おもしろい!

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古田敦也~野村ID野球の申し子

      2019/05/07

古田 敦也(ふるた あつや 1965年8月6日~)

立命館大学で活躍した古田。

プロからの指名は確実と思われており、ひな壇まで用意されていましたが、古田の目に関する怪情報が飛びかい各球団指名しませんでした。

中には指名を約束した球団もありましたが、指名には至りませんでした。

社会人野球トヨタ自動車に入社。ヤクルトが古田にドラフトで指名する事を言うと、

「本当ですか?嘘ではないですよね?」

と古田は立命館大学時代のトラウマがあったらしく、何度も確認したと言う。

1989年、ドラフト当日。新任監督の野村克也が、

 

「古田の指名は辞めよう。捕手はワシが育てる」

 

と言い出し、スカウト担当者が古田との約束を破る訳にはいかないと食い下がり何とか古田を2位指名で獲得する。

後に野村克也は、

 

「古田は3位で2位に吉岡雄二(巨人入団)を指名すればよかった」

 

と語っています。

当時の古田は強肩は認められていましたが、打撃やインサイドワークにまだプロとしてのレベルに無いと手厳しい評価を野村克也は口にしていました。

しかしそれは裏を返せば期待の現れだったのです。

神宮球場

古田の頭脳が開花したのは入団2年目。二流と言われた打撃が開花。

最終盤まで落合博光と競り合い、最終的に古田が打率340で首位打者を獲得。

これには辛口の野村克也も、文句の付けようがないと愛弟子の活躍にしてやったりと言った表情を見せていました。

その後強肩強打の捕手として活躍。野村克也がヤクルトを去った後もID野球を継承し一時代を築きます。

1993年に記録した盗塁阻止率644は未だに破られていない記録です。ボールを取ってから2塁に送球するのが早く、俊足ランナーを次々に刺しランナーを1塁に釘づけにする程の強肩でした。

打撃部門のタイトルは入団4年目の1993年の最多安打が最後。

その後もコンスタントに3割前後の打率をキープし2000本安打も達成。

プレーイングマネージャー(選手兼任監督)も経験し、代打出場する際の「代打 俺」が話題に。
「選手兼任監督」の難しさを知らしめたといえるでしょう。

「ミスタースワローズ」とも称される古田敦也は、ヤクルト一筋で野球人生を終わらせます。

将棋が非常に好きで、ヤクルトの選手を将棋の世界に巻き込み一時期ヤクルトの選手で将棋がブームになりました。

妻はアナウンサーの中井美穂。

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