日本プロ野球、伝説に残る選手列伝~長嶋茂雄から大谷翔平まで

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仁志敏久~原監督との確執は本当にあったのか?

      2019/05/07

仁志 敏久(にし としひさ 1971年10月4日~)

仁志敏久は大学時代から小柄ながらパンチ力のある選手としてドラフト候補でしたが、社会人野球に進みます。
その後巨人に入団し、1年目から内野の守備を無難にこなし、新人王を獲得。
巨人の野手の新人王は2009年の松本哲也が受賞するまで現れませんでした。

順調にプロ野球生活を送っていた仁志選手。打撃ではシャープな打撃でチームに貢献。
また守備では華麗なグラブさばきでセカンドのレギュラーを奪取。
盗塁も出来る俊足ランナーでしたが、盗塁失敗も多く盗塁技術と言う点では少し疑問点が残る時期でした。

長嶋監督が退任し、原辰徳監督が2002年に就任。最初は原監督と上手くやっていましたがある事をきっかけに亀裂が走ります。
そのある事とはミーティング中に起ったと言われています。
詳しい話はわかりませんが、どうやら原監督が熱弁をふるっている時にあろう事か携帯電話で話し始めたそうです。

携帯電話

流石にこれには温厚な若大将・原辰徳監督もプチッと堪忍袋が切れ仁志をスタメンから外します。
この時、仁志から原監督に謝罪の言葉は一切なかったと言います。仁志はなんでスタメンから外されたのか分からなかったようです。この一件以降、仁志と原監督の関係は悪化してしまいました。

そしてスタメンを外されて5試合が過ぎ、漸く原監督の怒りがさめたのか仁志をスタメンに使うと、
今度は故障して即2軍行きになります。正しく因果応報です。
仁志がファーム(2軍)で調整している間に二岡智宏が大活躍し、原監督の信頼を得ます。

結局この年の仁志は中途半端な使い方をされましたが、得点圏打率320と勝負強さを見せます。
また盗塁を22個。失敗は0のセリーグ記録を作る何とも良いのだか悪いのか?分からないシーズンでした。
この年巨人はリーグ優勝・日本一に輝きました。

2003年も相変わらず仁志と原監督の間には目に見えない亀裂が残っており、仁志はシーズン早々に故障で戦線離脱。
原監督も3位に終わった責任を取って辞任しました。

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