日本プロ野球、伝説に残る選手列伝~長嶋茂雄から大谷翔平まで

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辻内崇伸~遂に1軍で1球も投げなかった男の第二の人生

      2019/05/07

辻内 崇伸(つじうち たかのぶ 1987年12月5日~)

大阪桐蔭高校時代は甲子園のスーパースターだった辻内崇伸。やはり圧巻は最速156キロのストレート。球場の表示は152キロ。オリックスのスコアラーのスピードガンが156キロを計測しました。高校生レベルで156キロ。しかも左腕ときたら打ち返すのは並大抵の事ではありません。

辻内崇伸は三振を次々に取り65奪三振を記録。これは坂東英二のもつ83に次ぐ記録です。そんな将来有望の辻内にはドラフト会議で4球団が競合。抽選の結果交渉権は巨人に。交渉権を引き当てた巨人の当時の監督堀内恒夫がおおぼけをかまし、外れたと思った表情をして一体交渉権はどの球団か?と場内は騒然。結局堀内が気づき巨人が交渉権を獲得し入団交渉権を獲得しました。それにしてもクジ運の弱い巨人にしては上出来です。

長い二軍生活

現役時代203勝をあげ名球会のメンバーでもある堀内は、辻内を先ずは2軍で基礎体力をしっかり付けさせてから1軍にと言う青写真を描いていました。しかし辻内が一向に調子が上がらない上に挙句の果てには故障。これでは幾ら2軍で大事に育ててもどうにもならず故障の回復待ちを余儀無くされました。

高校時代に目一杯キャノンボールを投げていたのが祟ってか故障が治ってはまた故障の繰り返し。ストレートも最速156キロあったのが140キロに。平凡な投手になってしまいました。背番号も15から39になり最終的には98と期待値の表れでもある背番号がどんどん重くなっていきました。それでも辻内は諦めずにリハビリを続けストレートも147キロまで回復しました。

既に監督は堀内恒夫から原辰徳に政権交代していました。そして1軍にお呼びが漸くかかりいざ辻内の出番か?とマスコミも色めき立ちましたが、結局登板する機会はなく直ぐにファームに落とされました。プロの厳しさを改めて痛感した事でしょう。

辻内は結局1軍では1球も投げずに戦力外通告を受け、2013年に引退。高校時代はあの田中将大から甲子園でホームランも放っています。ユニフォームを脱ぐ時の辻内のストレートは131キロしかでませんでした。

その後は女子プロ野球を支援しているわかさ生活の正社員に。テレビ番組「私の何がイケないの? 元巨人軍選手の引退後の人生」(TBS系列)で、その苦難の日々が密着取材され、大きな反響を呼んだ。

2016年からはレイア(宮城県)でコーチを務めることが決定しているという。失意の中でもリハビリに真摯に取り組んできた辻内の第二、第三の人生を応援したい。

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