ラルフ・ブライアント~「奇跡の4連発」と東京ドーム天井スピーカー直撃ホームラン
2019/05/07
ラルフ・ブライアント(Ralph Wendell Bryant 1961年5月20日~)
ドジャースから移籍したラルフ・ブライアント。当時は中日の2軍で燻っていました。
ウェスタンリーグの試合で下手投げの投手から豪快なホームランを放ったのを目の当たりした近鉄首脳陣が中日に獲得を要請。
中日の関係者はブライアントの長打力を高く評価しており反対の声が相次ぎましたが、最終的には近鉄に金銭トレードで移籍。
1988年近鉄に移籍すると首脳陣は即1軍に召集。ブライアントは変化球打ちが苦手とされていましたが、
ブライアントは打ちに打ちまくり、なんと74試合で34本塁打と驚異的なペースでホームランを放ちました。
因みにこの年のセリーグのホームラン王はポンセ。ホームランの数は33本。ブライアントはそれを上回るホームランを6月から打ってしまった。
プロ野球ファンに衝撃が走った選手の一人です。
翌年は49本塁打を放ちホームランキングに輝きました。
優勝争いが激しく西武ライオンズとの優勝をかけての西武球場での2連戦でブライアントは伝説の「奇跡の4連発」を放ち
近鉄の優勝に貢献。この2連戦はダブルヘッダーで行われ、1試合目に3本。2試合目に1本の合計4発のホームランを放っています。
これが「奇跡の4連発」の内訳です。
中日はラルフ・ブライアントを手放した事を後悔したのは間違いありません。
ここまでホームランを打ちまくる外国人選手は中々いません。中日は近鉄のリクエストに応えてしまいましたが、
撥ね退けるべきでしたね。それにしてもなんでこんな超一流外国人選手が中日の2軍にいたのでしょうか?
ブライアントはこの試合の後、チームメイトと共に立川市内のやきとり屋で乾杯をした時、
右肩を痛め肩が上がらなくなってしまいました。チームメイトは宿舎にブライアントを戻し、
そこでブライアントが嫌いなハリ治療を受けました。その甲斐あってか日本シリーズには問題なく参加。
セリーグ王者の巨人を相手に3連勝し日本一に王手をかけますが、巨人の猛反撃に合い4連敗をして日本一は逃しました。
ラルフ・ブライアントという選手を語る上でもうひとつ欠かせないのが東京ドームの天井スピーカ直撃ホームランです。
ピッチャーは角盈男。推定飛距離は160Mとも言われています。もしスピーカーに直撃しなければバックスクリーンの最上部に直撃です。
中日にとっては後悔しきれない伝説の放出となってしまいました。
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