日本プロ野球、伝説に残る選手列伝~長嶋茂雄から大谷翔平まで

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永遠の若大将・原辰徳~監督としてもすでにリーグ優勝7回

      2019/05/07

原 辰徳(はら たつのり 1958年7月22日~)

東海大相模高校時代からスーパースターの道を歩み、東海大学に進学。
父・貢氏と親子鷹として脚光を浴び、ドラフト会議で4球団競合の末巨人に入団、プロ野球デビュー。

原辰徳はONの後の巨人の4番打者として常にONと比較され非常に本人も苦慮したと言います。
やはりONは偉大過ぎ、原にのしかかる負担は目に見えない部分が非常に多かったです。

それでも入団1年目からレギュラーを獲得。開幕戦では6番セカンドで出場。牛島和彦から初安打をマーク。
翌日の試合では小松辰夫からライトスタンドに初本塁打を放ちます。原は基本的プルヒッターの為ライトへのホームランは珍しいです。

道具
その後3塁レギュラーの中畑清が故障した為、本来のポジションサードに定着。
セカンドには篠塚が入り、ファーストに復帰後中畑が入りました。

当時タイトルに最多勝利打点がありました。現在はありません。2年目に最多勝利打点を獲得。
本塁打は2本差、打点は3打点差で、共に阪神の掛布雅之に及ばず後僅かの所でタイトルを逃しました。
特に打点の3打点差は勿体ないの一言です。その悔しさをバネに1983年に打点王のタイトルを獲得。
原が現役時代獲得した唯一の打撃タイトルです。最多打点王は除く。

その後入団以来11年連続20本塁打以上を記録し、巨人の4番を務めるもアキレス腱の故障との闘いが続き、
晩年は、中日から落合博満が巨人に移籍してきた事から落合の4番は確定的で、原の立場が微妙になってしまいます。
その頃の原は不慣れな外野守備をこなしており、守備範囲は狭く打撃成績も下降。1塁には落合がいる為、スタメンの機会が減少。
1995年にプロ野球の現役生活に幕を閉じました。

引退試合で広島の紀藤から豪快にレフトスタンドにホームランを放ち豪快なバット投げを披露。
これが最後のホームランとなりました。最後の打席は原の為だけに永遠のライバル大野豊が登板。広島側の配慮がありました。

試合後の引退セレモニーでは感謝の言葉を述べ、

「私には夢の続きがあります。必ず戻ってきます」

と述べています。

その後監督しての活躍ぶりはここで殊更説明するまでもないと思います。飴と鞭を非常に上手く使う名将です。
既に監督として7度のリーグ優勝を達成しています。巨人にとって伝説の1ページを飾る選手といって間違いないでしょう。

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