「世界の盗塁王」福本豊~106盗塁、13年連続盗塁王の金字塔
2018/02/17
福本 豊(ふくもと ゆたか 1947年11月7日~)
伝説の盗塁王・福本豊。1972年に記録した106盗塁は未だに破られない日本記録です。
当時プロ野球の試合数が130試合だった事を考えると、毎試合盗塁をしているような感覚です。
「世界の盗塁王」と呼ばれる所以はこの辺りからきています。
通算盗塁1065は当時の世界記録でしたが、リッキーヘンダーソンに破られます。
しかし福本はカウントダウン間近で渡米して、始球式を行った試合でリッキーヘンダーソンは新記録を達成。
福本は金のスパイクを渡し、リッキーヘンダーソンはその日のセカンドベースをプレゼントしました。
リッキーヘンダーソンは福本の事を、【尊敬に値する人物】と語ったという伝説が残っています。
福本豊は1970年から1982年まで13年連続盗塁王の金字塔を打ち立てます。この記録を破る選手も日本球界にはいないでしょう。
盗塁センスは抜群で特に東尾修を盗塁のカモにしていました。
東尾はクィックモーションが上手く他のランナーにはあまり走られる事はありませんでしたが福本だけには盗塁をされまくっていました。
東尾は試合以外で福本に会う度に、
俺の癖を教えてくれ
と毎回のように聞いていたというエピソードが伝説となるほどです。
そんな福本にも中々癖を見抜けない投手がいました。
近鉄バファローズの神部年男、鈴木啓示の2人だけはなかなか癖を見抜く事が出来ませんでした。
神部は軸足。鈴木は軸足に癖がある事を何度もフィルムを見て盗む事に成功しています。
盗塁のアドバイスを求めて来た広島の高橋慶彦に、
「気合や」
と答え高橋は面食らったと言う伝説もあります。
そんな高橋も盗塁王の常連でしたが通算盗塁数は福本の半分にも及びません。
本来なら高橋の盗塁数でも十分凄いですが福本の盗塁数に比べると霞んでしまいます。
福本豊が国民栄誉賞を固辞したのは有名な話です。その理由がこれまた凄い。
「立ちションが出来なくなるから」
……。これを理由に国民栄誉賞を固辞しています。
この様な理由で固辞した人物は福本豊一人だけでしょう。
解説者としては福本語録が存在し、中でもシーズン終盤に規定打席に到達し首位打者に立った打者の事を、
【覆面パトカー】と命名したのは、現在芸能界で勢いのある有吉顔負けの発言でした。